飛鳥時代にちなむ町名の福王台と福王神社

袖ケ浦市の生活環境が良好な住宅地 福王台

袖ケ浦駅南口の台地上には、袖ケ浦市内いくつかある住宅地の1つの福王台といわれる生活環境が良好な住宅地が広がっています。この町名と由来となった神社があり、この街を見守っています。

▽福王台と国道16号
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飛鳥時代 大友皇子のお子様の福王様を祀る福王神社

福王神社の由来についてホームページなど文献を参考にして箇条書きしました。

  • 袖ケ浦市奈良輪にある福王神社は、福王様を祀るために建立
  • 天智天皇の皇子の大友皇子(弘文天皇)が壬申の乱で敗れた後、そのお子様の福王様が逃れてきたという伝説
  • 壬申の乱の後に、福王様は4人の重臣に守られながら、海路上総へ至り、奈良輪高洲付近の海岸に上陸し、集落外れの『おふごの森』と呼ばれる森に住むようになった。
  • 逃れてきて数年後に亡くなったが、重臣たちによって亡骸は居住地に葬られ、そこに小さな祠が建てられた。これが福王神社の始まりである。
  • 後に、福王神社は現在地に移された。逃れてきたとされる1月9日が、福王神社の祭礼日となった。
  • 神社の裏手に広がる住宅地「福王台」は、福王神社から付けられた。
  • 『君津郡誌』によれば、福王神社は「奈良輪神社」とされていて、延宝2年(1674)に現在の場所に移されたとある。

※参考文献:君津地方歴史情報館より http://www.geocities.jp/marusyou03/sub14.html

 

壬申の乱 (じんしんのらん)

壬申の年にあたる672年、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と天皇の長子である大友皇子が、皇位継承をめぐって起こした内乱。大友皇子は敗北して自殺し、翌年、大海人皇子は即位して天武天皇となった。

福王神社の参道は急斜面だがすごく風情がある

▽ 福王神社 参道と鳥居

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▽参道の坂を上ると本殿が見えてきます

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▽狛犬が少し変わっています

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▽参道から後ろを見ると袖ケ浦と東京湾を一望できます

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▽福王神社はこの坂を上ったところにあります(参道の手前のから)

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