木更津の総鎮守 八剱八幡神社と吾妻神社

袖ケ浦、木更津など地名語源となっている古代史の出来事

袖ケ浦市、木更津市にて、大会コースを走って頂くと日本の古代史にまつわる地名やモニュメントなどが多くでてくることが感じられると思います。大会前の事前情報として由来とそれにかかわる神社等について記載させていただきます。

<地名の由来となった日本書紀や古事記での記述>

日本武尊(ヤマトタケル)が東国征伐したときのことです。走水から船で上総(現在の千葉県)に渡ろうとした時、海上で嵐に襲われますが、このとき日本武尊(ヤマトタケル)の妻である弟橘姫(オトタチバナヒメ)が海に身を投じることで嵐を静めました。このことにより、一行は無事に上総に渡る事ができましたが、日本武尊(ヤマトタケル)はこの地に暫らく留まり弟橘姫(オトタチバナヒメ)のことを思って歌を詠みました。「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」 この歌の一節「君さらず」が転じて「木更津」という地名となったと伝えられています。八剱八幡神社には、妻を想い、留まった場所として、日本武尊(ヤマトタケル)が祀られています。また、妃御袖が袖ヶ浦付近に漂着したことから「袖ケ浦」と名づけられました。

木更津市ホームページより

弟橘媛の袖が海岸に流れ着いたという伝説から「袖ヶ浦」と呼ばれるようになりました。 1991年に市制を施行した際、君津郡袖ヶ浦町から現在の袖ケ浦市になり、大きい「ケ」を採用するようになりました。

袖ケ浦市観光協会ホームページより

▼ 33キロ地点の小櫃川のきみさらづ大橋にある日本武尊と弟橘媛の銅像
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御祭神の日本武尊と鳳神ヤツルギの八剱八幡神社

ご当地ヒーロー鳳神ヤツルギで有名でもある木更津市の八釼八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)は、木更津地区の総鎮守の神社です。御祭神として誉田別尊・足仲彦尊・息長帯姫尊 ・素盞嗚尊・日本武尊を祀っています。完走祈願にいかがでしょうか

<由来>

八劔八幡神社は、日本武尊東征の際、身を投じて荒れ海を鎮めようとした弟橘姫を祀るために創建、中世に入り八幡神を合祀して八劔八幡宮と号したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より社領3石の御朱印状を拝領、明治4年郷社に列格したといいます。

<住所> 木更津市富士見1-6-15

<電話> 0438-23-8881

▼ 八釼八幡神社

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▼ 文化財を伝える看板

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▼ 鳳神ヤツルギの自動販売機が木更津市内各所で見られます。写真は22キロ先の交差点にある自動販売機。

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日本武尊の妃である弟橘媛を祀る吾妻神社(あずまじんじゃ)

海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた弟橘姫を祀る神社です。2キロ地点からコースを少し外れたところに立地しています。歴史にご興味があるかたは近くを寄った際、ご訪問されると面白いかもしれません。

<由来>

日本武尊御東征の折、妃弟橘姫命が海神の怒りを鎮めるため海中に身を投じられた。その後妃御袖が袖ヶ浦付近に漂着。この御袖を納めて社を建立したのが創祀と伝える。

伝承として吾妻の名は、日本武尊がこの地に来られた折、媛をしたい思わず「ああ吾が妻よ」と発せられた事に由来すると言われている。

<住所> 木更津市吾妻2-7-55

▼ 吾妻神社

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▼ 由来を伝える看板

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▼ 24キロ地点先の昭和小学校先の上り坂左手にあるおもてなし看板

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